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『大変困難な戦いなら、非常識な手段で戦ってこそ勝ち目をだせる!』
・・・高坂昌信・・・

武田四天王のひとり、高坂昌信は1527年生まれ。
小姓として武田信玄に寵愛され、「俺が本当に寝たいのはお前だけ」と
熱いラブレターを送られる程の美貌の持ち主だった。
見てくれだけでなく、才知も一流で、
甲州流軍学の書『甲陽軍艦』の原作者は、昌信だとされている。
二つ名は「逃げ弾正」だが、これは逃げ足が速いというよりは、
むしろ無用な戦いを避ける能力を示している。
信玄が死ぬと、息子の勝頼が跡を継いだ。勝頼は父親の遺言を守らず、
猛烈に攻めまくり、織田家の18の城を次々と撃破。
やがて信玄も落とせなかった要害・高天神城を手中に収めると、
勝頼は勝利の大宴会を開いた。これが油断となったのか、
高天神城を開城した翌年の1575年、勝頼は「長篠の戦い」で
信長・家康連合軍を相手に大惨敗を喫する。
参戦しなかった昌信は、戦後、本体の戦術を知って驚愕した。
勝頼は大軍を相手に、小部隊を代わる代わる突撃させ、鉄砲で各個撃破されていたのだ。
昌信はこの言葉で、勝頼を強く諭した。
「大敵が相手なら、全軍一致で大きく突撃すべき。
無二無三に攻め、前の列が撃ち倒されても、友の死体を踏み越え、
相手の陣地に雪崩込む。さすれば武田軍の必勝であった。惜しい」
それから3年後、昌信は武田家滅亡を目の当たりにすることなく、52歳であの世に逃げた。
 

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